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0歳児の赤ちゃんの育児をしているはじめてママの日々・・・♪

八日目の蝉を読んで あらすじや感想

こんにちは。くりいむぱんだです。

今回は角田光代さんの小説、「八日目の蝉」を読んでみて、その大まかなあらすじや感想を書きたいと思います。永作博美さん、井上真央さん主演で映画化もされている名作でご存知の方も多いかと思いますが、まだ映画も小説も観たり読んだりした事がなくてこれから観たり読んだりしたいという方はネタバレも含むので気を付けてください。

「八日目の蝉」の大まかなあらすじ

0章

物語は主人公の希和子が浮気相手とその妻の赤ちゃん「恵理菜」を誘拐するところからはじまります。ただ、あの人の赤ん坊を見るだけ。これですべて終わりにする。とそんな気持ちで希和子は留守中の家の中へ入ります。

赤ちゃんの顔を見て、抱き上げると、やわらかくて、あたたかくて・・・その小さな手は希和子の頬にペタペタと触れてきます。「離しちゃいけない。」一目見て終わりにするはずだったのに、赤ちゃんに一度触れるとそんな気持ちに希和子はなってしまいました。「私がこの子を守る。」そう思いながら希和子は赤ちゃんを誘拐します。

 

1章

物語を読み進める中で希和子は過去に浮気相手の男性との間に赤ちゃんを身ごもっていたことが明らかになってきます。しかし、堕胎しその後、希和子は子宮内腔癒着により子どもが一生涯生めない体になってしまいます。「あんたなんか空っぽのがらんどうじゃないの。」そんな悲しい言葉を浮気相手の妻からは浴びせられます。

 

自分では産むことのできなかった、これから先ももう産むことはできない自分の子どもを、誘拐することで得た希和子。過去に自分が授かった子どもにつけようと考えていた名前、「薫」と赤ちゃんを名付けて共に生活していきます。

 

しかし、行く当ても頼れる人もいない希和子のそれからの生活はその日暮らしのような日々でした。いつ自分が誘拐犯だということがバレてしまうのか、いつ薫との幸せな生活が奪われてしまうのか・・・。そう毎日怯えながらの生活です。素性を隠しながらいろいろな場所を点々としながら生活していく希和子と薫。物語の第1章ではその詳細がずっと綴られていました。学生時代の友人、康枝のマンション。行くあてもなく公園に佇んでいた時に声をかけられたおばさん、中村とみ子の自宅。女性のみが集まる宗教団体のようなエンジェルロードという施設。各地を転々とした後に最終的には香川県の小豆島へと流れ着きました。長く生活を共にしてきた希和子と薫は本物の親子のようになっていきます。

 

2章

2章目は主人公の焦点が大人になった恵理菜(薫)へと移り変わります。幼い頃に希和子に誘拐されて本当の両親のもとを長らく離れていた恵理菜は、両親のもとに戻ってからもずっとその家族の中に馴染めませんでした。母親は時に恵理菜をヒステリックに怒鳴り、父親は無関心でした。

 

そして、そんな家族に嫌気がさしていた恵理菜は大学進学を機に親の反対を押し切り一人暮らしを始めます。その後、生活費を稼ぐためのアルバイト先で塾の講師、岸田さんに出会います。

幼い頃に自分の誕生日を祝ってもらえなかった、クリスマスにケーキを食べることを知らなかった、学校ではいつも周りから奇異な目で見られ友だちもできなかった恵理菜は、岸田さんと出会って初めて、誰かと食卓を囲むことの楽しさを知ったり、誕生日には一緒に過ごし祝ってもらうことの喜びを知ったりしました。

人を好きになるという気持ち、会いたいという気持ちをはじめて知りました。

 

しかし、その岸田さんもまた妻子のある人でした。忘れたいけれど、関係を断ち切りたいけれど連絡がくればまた会ってしまう。そんな日々を繰り返し、恵理菜は岸田さんとの間に子どもを宿します。かつて自分を誘拐して自分の家族をめちゃくちゃにした、あれだけ恨んでいたあの人(希和子)と全く同じことをしている自分の姿に恵理菜は自分でも呆れてしまいます。

 

恵理菜は最初、できた子どもをおろそうと思っていました。家族らしくない家庭の中で育った自分に、母親らしくない母親のもとで育った自分に子どもを育てるなんてことができる訳がない。と、そう考えます。しかし手術の日取りを決めようと思って行った先の産婦人科で、年老いた医師に「緑のきれいなころに生まれるねえ。」と言われ、その気持ちが一瞬にして吹き飛びます。「お腹の中にいる自分じゃない誰かに、そのきれいな景色を見せてあげないと。」という気持ちになります。「もし、自分がそのきれいなものから目をそらすにしても、この子にはそれを手に入れさせてあげる義務がある。」と、そう思い母性が芽生え始めます。

 

 

かなりざっくりと言うとこのような感じのあらすじになります。

さて、ここからは私のこの小説を読んでみての感想を書いていきたいと思います。

「八日目の蝉」読んでみての感想

このように子どもを誘拐して逃亡しながら生活した女と、過去に誘拐されて本当の両親のもとに戻ってきても、心に闇を抱えながら卑屈に育ってしまった少女の、お互いの目線で物語は語られていきます。一見暗いミステリー小説のようなのですが、物語の中には所々心をぐっとつかれるような場面や主人公の心情描写が出てきてとても心に残りました。

 

例えば、希和子からの目線で語られる逃亡生活の中で、希和子は小豆島で人の良さそうな男性(大木戸一)に出会うことになります。そんな時に希和子は想像します、「もしこの島に生まれて、外の世界を何にも知らずにこの人と恋愛をしていたら、さぞや幸せだったのではないか。あの人に出会うこともなく、知らなくてもいい痛みを味わうこともなく、名を偽る必要もなく・・・。」けれどすぐに思い直します。「いくら幸せだったとしても、そうだったら薫には会えなかった。」「もし二手に分かれる道の真ん中に立たされて、どちらに行くかと神さまに訊かれたら、幸も不幸も、罪も罰も関係なく、その先に薫のいる道を躊躇なく選ぶだろう。」そんなふうに希和子の心情が書かれています。

 

子どもを誘拐して逃亡するという、あってはならない犯罪を犯しているのに、それによって自分自身も苦しめられているのに・・・。いろいろなものを犠牲にしてでも希和子の中で薫が側にいる生活というものが1番で、そう思うまでに薫を心から愛していて手放したくないのだと感じました。

 

また、 希和子と薫とのやり取りにこんな場面がありました。男と女の違いを希和子に聞いてくる幼い薫に対して、希和子は、「薫がもう少しおっきくなって、この人と結婚したいなあと思ったら、それは男の人だよ。」と説明します。そうすると薫はこう言います。「ほならママは男なん?薫ママと結婚したいもん。そしたらママ女の手ひとつやなくなるやろ。」薫は幼いながらも周りの人が自分の母親に対して口にする「女手ひとつ」という言葉に気の毒さを感じていたのです。「薫はいつか優しい男の人を好きになってお嫁に行くんだよ。」という希和子の言葉に対して、「いかないよ。どこも。」と薫は言います。

こんなふうに誰がどうみても本物の親子にしか思えないように二人はなっていました。親子愛を感じる印象に残る場面でした。 

 

希和子と恵理菜の別々の視点から構成される物語でしたが、私はそのそれぞれの生き方や考え方から、母性というものをとても感じました。子どもを産むこと、育てること、子どもを望んでいないけれど授かること、子どもが欲しくてもできないということ、母になること・・・いろいろなことを考えさせられました。

希和子は「がらんどう」という言葉を言われてきっとものすごく傷ついたのだと思います。私だって産めるのなら産みたかった。産んで育てたかった。とそう考えいたのだと思います。私は今は結婚し、出産して元気な子どもを無事に授かることができていますが、もしも希和子のように子どもを産めない体になってしまっていたらと考えると、希和子のその時の気持ちは計り知れないくらい辛いだろうなと思います。

 

また、これは後から恵理菜の回想によって明らかになるのですが、逃亡しようとしていたところで捕まった小豆島のフェリー乗り場で、薫を連れ去って行く刑事たちに向かって言った希和子の言葉、「その子は朝ごはんをまだ食べていないの。」とても印象に残った言葉でした。自分が捕まるという時に、もう終わりだという時に、子どもの朝ごはんの心配をする。希和子と薫は血は繫がっていないけれど、過去の浮気相手の誘拐した子どもだけれど、長く一緒に生活を送る中で希和子は薫の母になっていたのだと感じました。

 

そして、「緑がきれいな頃に生まれる。」と聞いて、この子を産んであげないと。とそう思った恵理菜の気持ちもとても分かりました。私も子どもがお腹にいた頃から、生まれてきたらいろいろな所に連れて行ってあげたい、きれいな景色をたくさん見せてあげたい、おいしいものもいっぱい食べさせてあげたい、そうずっと思っていました。恵理菜は決して望んで子どもができた訳ではなかったですが、「緑がきれいな頃に生まれる。」という言葉からその美しい景色を思い浮かべて、この子にそれを見せてあげたいと母性を感じ始めたのだと思います。

 

「八日目の蝉」というタイトルについて

 蝉は何年もの間土の中で過ごした後、土から出てきて7日で死んでしまいます。もしも8日目まで生き延びることのできた蝉がいれば、それは孤独で悲しいことだという考え方もあるかもしれません。しかし、8日目まで生きた蝉は他の仲間たちは見られなかった景色を見ることができるかもしれません。それはすごく美しくてきれいなものかもしれません。

 1日でも長く薫と一緒にいたいと願う希和子。子どもを生んでその子にたくさんのきれいなものを見せてあげたいと感じ始める恵理菜。その姿が最後に「八日目の蝉」というこの小説のタイトルと重なりました。

母性について、女性として生きることについて感じさせられた小説でした。

 

最後に

角田光代さんの小説は他にもいろいろと読んだことがありますが、どれも女性独特な何とも言い表せないような心情を、上手く物語の中で言葉にされているので、読んでいていつも引き込まれるものがあります。

そんな中でも私が特に印象に残っている1冊を今回は紹介しました。

拙い文章になってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。